MENU

買い物行ったのにアレ忘れた…主夫が何度もやるミス選手権!

目次

買い物の“うっかり”は誰にでもあるけど、主夫はなぜ多いのか

ひとりで暮らすようになってしばらく、私は毎日のようにスーパーへ通っていた。
仕事と育児を並行していた頃もそうだったけれど、今も生活の細かな部分はすべて自分でこなしている。

買い物はその中でも、もっとも頻繁で、もっとも地味なタスクのひとつ。
だけど、「あれ?買い忘れた…」とか、「えっ、また買っちゃった?」というような、いわゆる“うっかりミス”が何度も起こる。

育児真っ最中だったあの頃も、そうだった。
子どもと一緒にスーパーに行って、気づいたら必要なものじゃなくてアンパンマンのふりかけだけ買って帰ってきた日もある。

この記事では、そんな主夫時代に私が何度もやらかした買い物ミスを、ランキング形式で紹介したい。
そして、それをどうやって乗り越えてきたか、どう付き合ってきたかを、今の目線で整理してみた。

完璧にやろうとしてミスをして、落ち込んで、でもまた次の日もスーパーへ行って、なんとか暮らしていく。
そんな主夫の“あるある”を、少しでも笑って読んでもらえたら嬉しい。

第5位:在庫を確認せずダブり買い

一番やりがちだったミス、それが「買う前に冷蔵庫を確認しない」ことだった。

たとえば卵。「そろそろ切れそうだった気がするな」と思ってスーパーで買って帰ると、
冷蔵庫には未開封の卵パックが2つ並んでいた。

納豆や牛乳でも同じようなことが何度もあった。冷蔵庫の奥にあるのに気づかず、
「念のため」で買い足して、気づけば同じものが3つ、4つ…

そのたびに「なんでちゃんと見なかったんだ」と思うけれど、育児中の生活って、
ひとつのタスクに集中できる余裕がない。子どもがいると、買い物前に冷蔵庫をじっくり開ける時間すらなかった。

私がやらかした「ダブり買い」ランキング

  • 1位:納豆(冷蔵庫に6パックあった週も…)
  • 2位:牛乳(1日に2本買ってきたことも)
  • 3位:ヨーグルト(娘が食べると思って買ったけど、まさかの拒否)

冷蔵庫がモノであふれると、結果的に無駄になるものも多かった。
食材が傷んで捨てるたび、「あぁ、もったいない」と自己嫌悪に陥った。

対策としてやっていたこと

一番シンプルで効果的だったのは、冷蔵庫をスマホで撮ること。
買い物前に中身を撮っておくだけで、「あ、あるな」「これは買っておこう」と即判断できた。

あとは、買い物メモに「これは絶対今週中に使う」と決めたものだけを書くようにした。
ダブらせない=完璧な管理じゃなくて、判断をシンプルにすることが大事だと気づいた。

それでもダブる日はある

どんなに気をつけても、冷蔵庫に豆腐が3パックある日もあった。
でも、それは「暮らしている証拠」でもあると思う。失敗しても、また夕飯の工夫でなんとかなる。

冷蔵庫がパズルみたいになってたあの頃、私は確かに生活を回していた。

第4位:朝に必要な牛乳を忘れる

これは、当時ほんとうによくやらかした。
娘の朝食はいつも決まっていて、シリアルに牛乳、時々パンとヨーグルト。
だからこそ牛乳のストックは切らさないようにしていたはずなのに…

買い物リストにはちゃんと書いた気がする。でも、帰宅して袋を開けた瞬間、
「牛乳が…ない」。それに気づくのは、だいたい娘が寝たあとの深夜。

そして翌朝。「パパ、ぎゅうにゅうは?」と聞かれ、私は歯磨き中に一瞬フリーズ。
その場しのぎで「今日はヨーグルトでいい?」なんて言うけど、自己嫌悪はしっかり残る。

なぜ牛乳を忘れてしまうのか

たぶん、在庫が「微妙に残っている」せいだと思う。
買い物前に冷蔵庫を開けると、1/3くらいはある。
「これくらいなら今日持つかな…」と思ってしまう。その“油断”が命取りだった。

しかも、その残りはだいたい夕食後のホットミルクで娘に使ってしまって、
翌朝には完全にゼロ。完全に、自業自得。

私が実践していた対策

このミスが続いたことで、私は買い物メモに「冷蔵庫の在庫に関係なく、牛乳は毎回買う」とルールを作った。

それからは、スーパーで「今日はまだあるけど…」と迷う時間も減り、
ある意味で判断がシンプルになった。

もちろん冷蔵庫に2本あるときもあったけど、牛乳って意外と使い道が多いから困らなかった。
シチューやプリン作り、ホットミルク、なんなら冷凍保存だってできる。

忘れたときの、娘のリアクションが忘れられない

「パパ、またぎゅうにゅう忘れたの〜?」って笑って言う、あの少し呆れたような声
こっちは冷や汗だったけど、今思えば、そのやりとりすら懐かしい。

忘れたことも、怒られたことも、いつかは笑い話になる。
そう思えば、ミスも悪くない。

第3位:メモしたのに持って行かない・見ない

このミスは、何度も繰り返した。
忙しい合間を縫って、「買い物で忘れないように」と紙にメモを書いたり、スマホのメモ帳にリストを作ったりしていた。

でも、肝心の買い物中にそのメモを見なかった。
いや、そもそもメモを持っていくのを忘れていたことさえある。

レジに並んでいるときにふと「あれ?今日って、なに買いに来たんだっけ…?」と記憶が曖昧になり、
帰宅して袋を開けてから「やっぱり買い忘れてる」と落胆する。そんな日が続いていた。

どうしてメモを見なかったのか

いま振り返ると、当時の私はいつも気持ちに余裕がなかった

娘と一緒に買い物していると、途中で「トイレ行きたい」と言われたり、「アイス欲しい」と駄々をこねられたりして、
メモを開くどころじゃなくなっていた。

「メモはちゃんと書いたのに」という無念さと、「なんで見なかったんだ」という自己嫌悪。
そのどちらも味わったからこそ、いろいろとやり方を変えることにした。

やってよかった“メモ改善”の工夫

  • メモはスマホに統一:紙だと忘れるので、Google KeepやLINEのピン止めで管理した。
  • リストを売り場の順に並べる:スーパーのルート通りに書くと、自然に目を通せた。
  • 最重要品は「★」をつける:たとえば「★牛乳」「★卵」など、絶対に忘れたくないものだけ目立たせた。

それでも忘れた日もあった

最初は「完璧な買い物リスト」を作ろうとしていたけど、
途中からは「抜けがあっても、自分を責めないリスト」に変わっていった。

完璧より、回る生活。
そんなふうに考えるようになったら、少し肩の力が抜けて、買い物も気楽になった。

第2位:子どもに翻弄されて本来の目的を忘れる

一番大事なものを買い忘れる理由って、単純なうっかりじゃないことが多い。
育児中の買い物なんて、まさにその連続だった。

娘と一緒にスーパーに行くと、それはもうちょっとしたイベント
入ってすぐ「カート乗る?歩く?どっち?」で揉めて、野菜売り場で「トマトやだ〜」と主張され、
気づけばレジの前で「こっちのお菓子買いたい」と泣かれる。

そうなると、最初に買うつもりだった食材のことなんて、すっぽり頭から抜け落ちてしまう。

思い出深い“翻弄買い物”の日

あれは確か、保育園の遠足前日。
娘のおやつを買いに行ったはずが、帰宅してみると、袋の中には野菜ジュースと洗剤だけ。

娘は途中で眠くなってグズり始め、私もテンパって必要ないものだけ買って帰ってきた。
翌朝、コンビニに走ったのを今でも覚えている。

対策というより、“割り切り”が必要だった

育児と買い物を同時にやるのは、理屈じゃない。
だから私は、「これだけは絶対に買う」ものを先にカゴに入れるようにしていた。

たとえば夕飯のメインになるお肉、朝ごはんのパン、おむつ。
それだけ買えれば最低限OK、あとはもう「無理せず帰る」くらいの気持ちで。

娘との買い物を“仕事”から“遊び”に変える工夫

娘にも役割を与えるようにしていた。「今日はブロッコリー探してくれる?」とか、
「トマトが赤くてキレイなの見つけられるかな?」とゲーム感覚で巻き込む。

うまくいかない日もあったけど、一緒に買い物することそのものをポジティブに変えようとした。

ミスが減らない=一緒にいる時間が多かった証

今となっては、こういう買い物ミスも、娘と過ごした証拠みたいなものだと思ってる。

完璧じゃなかった。でも、毎日一緒にごはんを食べて、笑って、怒って。
その全部が、自分の糧になっている。

第1位:メイン目的を忘れて帰る

これが一番キツかった。
「今日の夕飯はカレーにしよう!」と決めて、気合を入れてスーパーへ行く。

野菜も肉もちゃんと買った。玉ねぎもじゃがいもも忘れずにカゴに入れた。
でも、家に帰って袋を開けた瞬間、「…カレールー、ない。」

なんのために行ったんだ、と自分にツッコミたくなった。
娘はそのとき小さくて、料理中の私の様子を静かに見ていたけど、きっと内心「またパパやったな」って思ってたんじゃないかな。

なぜ一番大事なものを忘れるのか

たぶん、途中で買い物のテンションが変わるからだと思う。
スーパーの特売品に目移りしたり、娘に「ジュース買いたい」と言われたりして、
最初の目的が脇に追いやられてしまう。

そして買い物の終盤になると、「あれ?これで全部だっけ?」と不安になっても、
レジが混んでたりして確認できないまま会計してしまう。

やっていた工夫

メモの最初に「今日の目的:カレー」とタイトルをつけるようにした。
単に買うものリストではなく、「何を作るか」「なぜ必要か」が書かれていると、
レジ前で一瞬立ち止まったときにも思い出せる。

あとは、買い物の終わりに「確認タイム」を入れる
娘がカゴの中を覗き込むのに便乗して、「カレールーあったっけ?」と口に出して確認していた。

それでも忘れた日のこと

娘と一緒にスーパーへ行き、結局ルーを忘れたことがあった。
あの日は冷凍庫にハヤシライスの素が残っていて、なんとかそれで凌いだ。

「カレーじゃなかったけど、これもおいしいね」と言ってくれた娘の言葉が、
今もやけに心に残っている。

忘れ物のない買い物よりも、忘れても笑える食卓。
それが、あの頃の私にとっての救いだった。

番外編:タイミングや量でやりがちな“地味に痛い”ミス

忘れ物や目的ミスほど派手じゃないけれど、主夫時代によくやらかしていたのが、タイミングや量を間違える系の買い物ミスだった。

「まとめ買い」して賞味期限と戦う

特売のヨーグルトを大量に買って冷蔵庫が乳酸菌地獄になったり、
豆腐を3パックまとめ買いして、夕飯3日連続で湯豆腐になったこともある。

あの頃は、「買い物に行く回数を減らしたい」という気持ちが強かった。
でも冷蔵庫のキャパにも限界があって、詰め込みすぎて奥の食材が埋もれてしまい、
気づけば賞味期限が切れていた、なんてこともよくあった。

冷凍庫の“物理的な限界”に気づけなかった

冷凍うどんや冷凍野菜は便利だから、つい買い込んでしまっていた。
でも冷凍庫って案外狭い。特に保冷剤が多い夏場は、まったく余裕がなかった。

無理やり押し込んで、扉が閉まらなくなって溶け始めたときの絶望感は今でも忘れない。
冷凍うどんを泣く泣く常温解凍してその日のうちに食べる羽目になった。

「日にちを間違える」事件も多数

娘の保育園の行事があるからとお菓子を早めに買ったら、当日までに全部食べられていたとか、
おむつの残量を見誤って「あと3枚あると思ってたのに実質ゼロ」で夜にドラッグストアを走るとか。

スケジュールと在庫の確認を連動させるって、想像以上に難しい

私が最後にたどり着いた3つの買い物基準

  1. 「今週中に確実に使うものだけ買う」
  2. 「入れる場所がないものは買わない」
  3. 「明日の予定と連動させる」

この3つを意識するようになってから、買いすぎやタイミングミスは減っていった気がする。
忙しいと「とりあえず買っておこう」となるけど、それが逆に首を絞める。

地味なミスにこそ、生活のリアルがある

ダブり買いや忘れ物はわかりやすいけど、この手の“じわじわ効くミス”の方が、あとからくる。

娘と一緒に冷蔵庫を開けて、「えーまた納豆!?」と笑われた日々。
今思えば、そういう地味なやりとりにこそ、生活の“味”が詰まっていたように思う。

主夫がなぜミスを繰り返すのか|背景とマインドの話

あの頃、なんであんなに買い物ミスが多かったのか。
ふと一人になってから、そう考えることが増えた。

ちゃんとリストを作ってたし、娘の好みも把握してたし、料理の手順だって慣れていた。
それでも、「またやっちゃった…」という日がなぜか何度もあった。

脳のキャパが常に満タンだった

主夫業は、想像以上に「並列作業」の塊だ。
娘の朝ごはんの準備をしながら保育園の持ち物を確認して、洗濯物を干して、メールの返信を考える。

そんな中で「冷蔵庫の卵の数を覚えておく」とか「牛乳の残量を判断する」なんて、もはや不可能に近い。
買い物中のミスは、生活がうまく回っていた証拠でもあったのかもしれない。

主夫向けの“うまくやる術”が少なすぎた

ネットや雑誌を見ても、主夫向けの情報はあまりなかった。
「ママたちの家事効率化術」はあっても、自分のスタイルに合うものを見つけるのは難しかった。

だからこそ、自分で試して、失敗して、修正していくしかなかった。
買い物ミスも、その過程で避けて通れないものだったと思う。

誰にも見えないところで、がんばっていた

子どもを迎えに行って、夕飯を作って、寝かしつけて。
その裏には、「絶対にやり忘れたくない」という小さな緊張がいつもあった。

だからこそ、買い物ひとつミスしただけで、自分にがっかりしていた。
でも、今思えばそれは「ちゃんとやりたい」という気持ちがあったからこそだった。

完璧じゃなくても、続けることが大事だった

毎日ミスなくこなすことよりも、「やめずにやり続ける」ことが大事だった。
今日ミスしても、明日また買い物に行けばいい。

そうやって、自分なりのやり方を少しずつ見つけていった。

いま、主夫だった頃の自分に言いたいこと

「それでいい。ミスしても大丈夫。
あなたはちゃんと生活してる。
それだけで、すごいことだよ」

自分が自分にそう言えるようになったとき、
買い物の失敗も、なんだか愛おしい思い出に変わっていた。

まとめ|それでも前に進む主夫たちへ

買い物の失敗は、誰にでもある。
だけど、主夫だったあの頃の私は、それを「自分の不出来」だと思っていた

牛乳を忘れた日、カレールーを買い忘れた日、冷凍庫がパンパンで後悔した日。
どれも小さな出来事だけど、あの時の私は、いっぱいいっぱいだった

でも今思えば、その失敗の裏には、暮らしに向き合う真剣さがちゃんとあった。

「忘れた」ことも、「笑ってくれた」ことも、記憶に残っている

娘に「パパ、また買い忘れたの?」と笑われた日。
私が落ち込んでいたら、そっとお菓子をくれた日。

うまくいかなかったことも、一緒に乗り越えた時間のひとつだった。

主夫に必要なのは「完璧さ」じゃない

料理の腕でも、家計の管理でもない。
必要なのは「暮らしと向き合い続ける気持ち」だと思う。

今日失敗しても、明日またやってみようと思えること。
うまくいかなかった日の自分を、責めすぎないこと。

一人になった今、ようやく言えること

私はもう娘と一緒には暮らしていない。
でも、あの時の暮らしがあったからこそ、今の自分がいる。

日々を回しながら、何度も失敗して、何度もやり直して。
そのすべてが、誰に見せなくても胸を張れる「父親としての時間」だった。

だから、今日も買い物へ

メモを手に取って、スーパーへ向かう。
忘れものがあっても、きっとなんとかなる。

それが主夫のリアルで、サバイバルで、愛すべき日常だった。

  • URLをコピーしました!
目次