洗濯物に支配される日々、始まりはいつも突然に
朝、目覚ましが鳴る。
保育園用のリュックから、ビニール袋に入った着替えの山を取り出したあの日々。
「また洗濯か…」と、ため息をつきながら洗濯機を回すのが、私の朝のルーティンだった。
シングルの主夫として、子どもと一緒に暮らしていた頃。
料理や掃除は“やれば終わる”。でも、洗濯だけは、永遠に終わらなかった。
朝に干して、昼に位置を変えて、夕方に取り込んで、たたんで片づけて…
次の朝にはまた新しい洗濯物が積み上がっている。それが毎日だった。
「干しても干しても終わらない」──それは、子育て中の家庭によくある話かもしれない。
でも、当時の私には、それが生活の全てのように感じていた。
この記事では、そんなかつての「洗濯サバイバル」な日々を思い出しながら、
時短の工夫や精神的な対処法まで、私なりに見つけた知恵を紹介していく。
なぜこんなに洗濯物が多いの?子育て家庭のリアル
子どもと暮らすようになって、最初に驚いたのが洗濯物の量だった。
1日分の子ども服が、私一人分の3〜4倍はあったと思う。
朝に着替え、昼に泥だらけ、夕方に水遊び。
1日に2〜3回着替えるのが当たり前で、上着・ズボン・インナー・靴下・スタイ・タオル…気づけばカゴがあふれていた。
特に困ったのは、園から持ち帰る濡れた服や汚れたシーツ。
ビニール袋に入ったままだと臭いもこもるし、なるべく早く洗わないと他の服にまで影響が出ていた。
私自身の服や寝具も含めれば、1日20点以上の洗濯物を相手にしていたことになる。
季節によってはさらに地獄。
夏は汗でシャツの枚数が倍に、冬は厚手の衣類が乾かない、梅雨は部屋干しの湿気で空気がどんより。
やってもやっても減らない。それが洗濯の現実だった。
洗濯〜部屋干し〜たたむまでの「全工程」タイムライン
主夫だった当時、洗濯は私の生活の軸だった。
「洗って干して終わり」ではない。むしろ、そこからが本番だった。
06:30|起床&仕分けスタート
起きてすぐ、前日の服や保育園バッグの中身を取り出し、色柄・素材別に仕分ける。タオル、シャツ、靴下、シーツ…慣れるまでは毎朝が戦争だった。
07:00|朝食の準備と並行で1回目の洗濯
朝ごはんを作る片手間に洗濯機をスタート。ドラム式だったが、乾燥までやるとシワが気になるため、洗いまでで止めるのが私のスタイルだった。
08:00|1便干し&2便の準備
娘を送り出したあと、即座に干す作業。窓際や風の通り道を意識してピンチハンガーを並べ、次の洗濯物の準備も同時進行。
10:30|2便目スタート(園グッズや大物)
保育園のシーツ、バスタオル、時には上履きまで。干す場所がなくなって、カーテンレールや突っ張り棒まで総動員したこともあった。
14:00|干し直し&移動チェック
乾きムラを防ぐため、湿っているものを前面に出し、乾きかけのものと交換。サーキュレーターを当てたり、浴室乾燥に切り替えることも。
16:00|取り込み作業
保育園のお迎えの前後で、できる限り取り込み作業。乾ききらなかったものはそのまま翌日に持ち越すことも少なくなかった。
20:00〜21:00|たたみ作業&収納
夕食・お風呂・寝かしつけが終わったあと、リビングでたたむ時間。たたんでる途中で寝落ちして、翌朝に回した日も数え切れない。
全工程をトータルすると、1日の中で4〜5時間は洗濯と関わっていたと思う。
それでも毎日終わらないのが洗濯だった。
主夫が試した洗濯時短テク7選(リアルレビュー付き)
このループを少しでも軽くしたくて、いろんな時短テクを試していた。
成功したものも、失敗したものも、今ではいい思い出だ。
1. 洗濯ネットの「分類収納」
最初から「子ども服用」「下着用」「タオル用」と分けてネットに入れるだけで洗濯機に入れる作業が爆速に。これは神アイデアだった。
2. 洗濯前からハンガーにかけておく
シャツやワンピースは脱がせた段階でハンガーに。そのまま洗濯し、干すときもスムーズだった。
3. 浴室乾燥は「最初の2時間だけ」
電気代が気になるので、最初の2時間だけ“風量強”で回してあとは自然乾燥に切り替え。生乾き臭も防げた。
4. 平干しネットで小物まとめ干し
靴下・スタイ・下着などの迷子防止に活躍。100均グッズだったがコスパ最高。
5. ハンガー収納に切り替え
娘の服はほぼ“かけるだけ”収納にして、たたむ手間を省いた。突っ張り棒の増設も地味に役立った。
6. 「すすぎ1回」洗剤の導入
液体洗剤からジェルボールを経て、最終的には「アタックZERO」のすすぎ1回タイプに落ち着いた。時短&節水の効果が大きかった。
7. 娘と一緒に“洗濯あそび”化
ピンチ挟み競争や「お洗濯屋さんごっこ」。ただの家事が、娘とのコミュニケーションの時間にもなった。
完璧を目指さないこと。
「自分なりの最適化」で十分だったと、今振り返って思う。
部屋干し臭・乾かない問題をどう乗り切るか?
雨が続く日、気温が低い日、空気がこもる日…
そんなときに悩まされたのが部屋干し臭と乾かない問題だった。
原因は雑菌だった
調べてわかったのは、臭いの原因がモラクセラ菌という雑菌だったこと。
洗濯機で落としきれなかった皮脂汚れに繁殖して、あの独特なニオイになるらしい。
私が実践した7つの対策
- 酸素系漂白剤(オキシクリーン)を週1回使う
- 洗濯槽クリーナーで月1メンテナンス
- 洗濯後は30分以内に干す(菌の繁殖を防ぐ)
- ハンガー間隔を10cm以上空けて風通しを確保
- 扇風機+除湿機のダブル使い
- 乾きにくい服は浴室乾燥で先に2時間だけ回す
- アルミハンガーで速乾化&臭い移りを軽減
全部を完璧にこなすのは無理でも、
「今日の自分にできる範囲」でやるだけで、洗濯のストレスは確実に減っていった。
「たたむのが苦手」問題と“干し方で9割終わる”説
私が一番苦手だったのは、実はたたむ作業だった。
干すのはいい。乾いた服をカゴに入れるのもいい。
でも、たたむ…それがなかなか始められない。
ソファの上にたたんでいない洗濯物が山積みになり、
そのまま着回すようになった日もあった。
正直、「このままでいいか」と思っていた時期もある。
“干し方で決まる”という真実
そんなある日、気づいたことがある。
「干すときに形を整えた服は、たたむのがラク」だということ。
つまり、干し方次第で“たたみやすさ”が決まるのだ。
- シャツはボタンを留めて干す
- タオルは二つ折りにしてピンチ干し
- パンツはウエストを揃えて吊るす
- 干す前にパンッと伸ばしてシワ防止
それでも無理なら「たたまない戦略」
私は一部の服を“ハンガー収納”に切り替えた。
タオルやインナーはボックスに投げ入れるだけ。
無理にたたもうとせず、“使いやすさ優先”で運用した。
家事の完成度じゃなく、暮らしやすさを優先した方が、心もラクになった。
それは今も、自分の生活全体に生きている考え方だ。
娘と一緒にできた“洗濯あそび”でサバイバル
主夫だった頃、洗濯があまりにもしんどくて、
「このループからどう抜けるか?」を真剣に考えたことがある。
そこで思いついたのが、娘と一緒にやる“洗濯あそび”だった。
あの頃、保育園年長だった娘は、お手伝いというより「ごっこあそび」に近い感覚で楽しんでくれていた。
当時よくやっていた“洗濯あそび”いろいろ
- ピンチハンガー競争:誰が早く靴下を挟めるかタイムバトル
- 色別分けゲーム:「赤い服はどれ?」「しましまは?」とクイズ感覚で仕分け
- おたたみ屋さんごっこ:「いらっしゃいませ〜!洗濯物たたみます〜!」と娘が店員役
- タオル巻きレース:くるくる丸めてかごに詰めたら勝ち、みたいなノリ
洗濯が大変なのは変わらないけど、「一緒にやってる」という感覚が、気持ちの重さをずいぶん軽くしてくれた。
娘にとっても、自分が家事の一部を担えているという経験は、何かしらの自信につながっていたと思う。
今はもう一緒に暮らしていないけれど、
あのとき一緒にたたんだタオルや干したシャツの感触は、今でも私の記憶の中で、温かく残っている。
心が折れそうな日に読み返した“洗濯名言”と独り言
毎日、洗って干して取り込んでたたむ。その繰り返しに、ふと心が折れそうになる日があった。
雨で乾かない、娘の服に謎のシミ、洗濯機のエラー表示…
「もう勘弁してくれ」と頭を抱えた夜もある。
そんなとき、私は小さなノートに“言葉”を書いていた。
自分を励ますようなフレーズだったり、笑えるひと言だったり。
今振り返ると、あれが心の支えだったのかもしれない。
自作「洗濯名言」集
- 「洗濯物が多いのは、愛されている証拠だ」
- 「干しただけで偉い。たたんだら英雄」
- 「子どもが服を汚すのは、今日を全力で生きた証」
- 「誰も見てなくても、暮らしを回す俺は強い」
深夜の“独り言”メモから
- 「俺が干してるんじゃない、干されてるんだ」
※干された結果がこの状況とかうまいことは言わなくていい。 - 「この洗濯バサミ、あと3つで手が限界」
- 「あと2枚だけ、あと2枚だけ…(10分経過)」
- 「このTシャツ、なんで毎回絡まってくるん?」
笑ってしまうような言葉ばかりだけど、
自分を責めずに済む何かがそこにあった。
洗濯は、ただの家事じゃない。心と向き合う作業でもあったと思う。
まとめ|洗濯は、ただの家事じゃない。私のサバイバルだった
主夫として子どもと暮らしていたあの頃。
毎日欠かさず向き合っていたのが、洗濯という家事だった。
干しても干しても終わらない。
乾かない、たためない、片づかない。
気を抜いたらすぐに部屋が洗濯物だらけになった。
それでも私は、毎日洗濯機を回し続けていた。
娘の着替えを干しながら、成長を感じたこと。
たたんだ服を一緒にしまいながら、ちょっとした会話に笑ったこと。
洗濯は、日常の営みそのものだった。
今はもう、あの暮らしとは少し距離がある。
それでも洗濯物の山を見ると、あの日々を思い出す。
「今日もちゃんと暮らした」って、胸を張れるように。
洗濯は、ただの家事じゃない。
私にとっては、生活のすべてであり、サバイバルだった。