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人生のピークと底が同時にきた話。出産と帯状疱疹、どっちもMAX

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娘が生まれた日、私は病院の外にいた

9年前、長女が生まれた日。

父親として記念すべきはずのその日は、病院の中に入ることさえできなかった。

理由は――帯状疱疹。

人生で最も喜ばしい瞬間と、人生で最も痛く孤独な瞬間が、同時に訪れるとは思いもしなかった。

妻の臨月、私の背中は静かに壊れていった

出産が迫ったある日、私は背中に「ピリピリ」とした違和感を覚えた。

寝違えたのか、筋肉痛か…そんな軽い気持ちで流していた。

仕事に追われ、家のことも重なり、心も身体も限界寸前だった。

でもそれは、帯状疱疹の前兆だったのだと、後になって知ることになる。

陣痛の朝、発疹が広がり病院に電話した

妻の陣痛が始まり、急いで産院に送り届けたその朝。

自分の背中から脇腹にかけて赤い発疹が広がっていた。

ネットで調べて「帯状疱疹」の可能性に気づく。

すぐ皮膚科へ行き、診断確定。「新生児にうつすと危険」と告げられる。

産院に電話し、「接触なしで窓越しでもいいから見たい」とお願いしたが、院内立入禁止を言い渡された。

娘の誕生と、帯状疱疹の激痛

妻から届いた「生まれたよ」のメッセージと、添付された小さな動画。

涙が出るはずだった。でも、背中の激痛に顔をゆがめた。

抱きしめることも、顔を見ることもできず、家でただ横になっていた私。

「嬉しい」と「痛い」が同時に襲ってくるなんて、思ってもいなかった。

帯状疱疹で寝込んだ10日間。父親なのに、何もできなかった

抗ウイルス薬、痛み止め、そしてひたすらの安静。

スマホの中の写真だけが、娘との唯一の接点。

自分は本当に父親になれたんだろうか、と何度も自問した。

発疹が引いても、心の距離は埋まらなかった。

初めて会えたのは10日後。病室じゃなく、前妻の実家だった

10日後、ようやく完治と診断され、前妻の実家から「会いに来ていいよ」と連絡がきた。

初めての対面は畳の部屋。

布団の中にふわっと埋もれた、どこにいるのかも一瞬わからないほど小さな存在。

でも、見つけた瞬間に涙があふれた。

抱きしめる前から、体中が「この子が私の娘だ」と叫んでいた。

第二子のときも、やっぱり“外”だった

数年後、第二子の出産時。今度こそ立ち会えると思ったが、

当時の妻に言われたのは「血でビビるから、外にいて」。

分娩室の前の廊下を、緊張しながら歩き回る。

ドアの向こうから聞こえた小さな産声に、また胸が締めつけられた。

立ち会えたとは言えないけど、あの瞬間も、ちゃんと記憶に焼きついている。

“父になる”って、こんなにも遠くて、でも確かなことだった

長女の出産日、私は病院に入れず、帯状疱疹の激痛に耐えていた。

でも、あの日こそが、間違いなく「私が父親になった日」だった。

今は別々に暮らしてたまに遊ぶくらいだけど、あの小さな布団に埋もれていた命を初めて見た瞬間を、私は一生忘れない。

いつか娘に話したい。「お前が生まれた日、パパは背中を焼かれながら、ずっとお前を待ってたんだよ」って。

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