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20代前半でうつ病に?実体験から学んだ原因と回復までの道のり

今日は少しまじめに、昔のお話です。

目次

20代前半、うつ病と向き合うことになった私

社会に出たばかりの頃。
まさか自分が「うつ病」になるなんて、想像もしていませんでした。
特別つらい仕事をしていたわけでもなく、ブラック企業でもなかった。
でも、じわじわと心は削られていって、ある日突然、電車に乗れなくなりました。

この体験談は、当時の私と同じように「なんとなくしんどいけど、まだ頑張れる」と思い込んでいる人に届いてほしいと思って書いています。
うつ病は、誰にでも起こりうる心の限界のサインです。
そして、そこから回復する道も、きっとあります。

SEとして働き始めた日々とギャップ

私は専門学校を卒業後、システムエンジニアとして働き始めました。
配属されたのは基幹業務系の開発部門。販売管理や在庫管理など、企業の根幹を支えるシステムを作る部署です。

ところが、仕事の内容は私の想像とかなり違っていました。
プログラミングというより「反復作業」に近く、クリエイティブさを感じる余地が少なかったのです。
DBの抽出、加工、更新、たまに画面設計はあるけど、定型的なもの。学んできた技術を発揮する場はあまりありませんでした。

期待していた「面白い開発」とは違い、どこか作業に追われる毎日。
次第に、「なんのためにやってるんだろう」と思うようになりました。

頑張るほど損をするような空気

私は仕事が比較的早く終わるタイプでした。
でも、早く終わらせれば終わらせるほど、次々と新しい作業が振られてくる。
周りよりも効率よく動いているはずなのに、常に手一杯な状態が続きました。

一方で、作業が遅い人ほど「丁寧だ」と評価される場面もあり、評価の基準に理不尽さを感じていました。
「暇そうに見えると損をする」という空気があり、実力よりも“忙しそうに見えること”が大事にされていたように思います。

社会性のなさに苦しんだ

私は元々、社交的なタイプではありません。知人に言ったら「絶対嘘だ!」と言われると思いますが、マジです。
電話が苦手で、着信音が鳴るだけで動悸がすることもありました。
言いたいことをストレートに言ってしまい、知らず知らずのうちに人を傷つけてしまうこともありました。

SEという仕事は、技術力さえあれば良いと思っていたのですが、実際には「提案力」や「調整力」が非常に重視されます。
気の小さい私は、提案資料が綺麗にできても、本番になるとビビってしまい、うまく説明ができないことが多々ありました。今思えば、提案内容を完全に理解しないまま本番に臨んでいたのも原因の一つだと思います。

さらに仕事のできない上司が自分より高給と考えると我慢できず、すぐ噛みついて論破してしまったりしてました。今思えば仕方がないやつだと耐えてくれてたんだと思います。そういう人がいるから大きな案件が獲得できたりしていたのかもしれません。

そんな協調性のない私には社会人は難しく、次第にどんどん浮いていくような感覚でした。

提案できる人が上に行き、ただ作業をこなすだけの人は評価されない。
そんな環境の中で、自分の無力さを痛感し、将来に対する不安が大きくなっていきました。

心と体が悲鳴を上げた瞬間

ある朝、通勤電車に乗ろうとした瞬間、急に強烈な吐き気に襲われました。
駅のホームに立つだけで足が震え、息が詰まるような感覚。
その日を境に、外に出るのが怖くなってしまいました。

家から一歩も出られない日が続き、心療内科を受診したところ「うつ病」と診断されました。
最初は信じられなかったものの、「しんどいと言っていいんだ」と思えたとき、少しだけ心が軽くなったのを覚えています。

転職しても変わらなかった現実

しばらく療養したあと、私は転職しました。
「環境を変えれば、きっと良くなる」そう思っての選択でした。

ですが、転職先でも状況は大きく変わりませんでした。
自分をうまく表現できず、また周囲とうまく馴染めない。
自己肯定感は低いままで、再び電車に乗れなくなる日が訪れました。

ここで気づいたのが、同期の存在の大きさでした。
新卒の頃とは違い、転職後は同じ環境でゼロから戦ってきた仲間がいないんです。思い直せば同期と飲みに行ったりするのはいい発散の機会だったのです。

独立という選択肢

30代半ば。私は会社員という働き方を手放し、フリーランスとして独立しました。
特別なコネも実績もなく、生活は不安定。
けれど「もう、組織で自分を押し殺しながら働くのは限界だ」と思ったのです。

営業をしなければお金は入らない。
仕事を取るためには、自分で考え、提案を組み立て、相手に伝えなければならない。
それが、驚くほど自分には合っていました。

尊敬していた先輩の姿に自分が重なった

気づけば、私は「提案力」で仕事を得るようになっていました。
昔、憧れていた先輩のように、クライアントの課題に合わせて企画を立てる。
知らないことは、知ったふりをして持ち帰り、徹夜で調べてでも形にする。

2日間の徹夜も珍しくなかったけれど、どこかに希望がありました。
やった分だけ報酬になり、結果に結びつく感覚が確かにあったからです。

やらなきゃゼロ。でもやれば報われる

フリーランスという働き方はシンプルです。
やれば報酬になるし、やらなければ1円にもならない。
この仕組みが、私には妙にしっくりきました。

ただ、仕事が取れないときは本当に苦しい。
だからこそ、人が休む年末年始などの時期にこそ、クラウドソーシングで案件を取りにいきました。
みんなが休みたいときこそ困っているひとがいるもんです。
稼げない時間が怖かった分、動き続けることで精神の安定も保っていたのだと思います。

今、自分らしく働ける場所にいる

現在、私は半個人事業主として、自分のペースで働いています。
収入は不安定な面もあるけれど、何より「無理をしないで働けること」が一番の価値です。

自分に合った働き方は、探せば必ずある。
そして、うつ病になったことを「人生の敗北」だとは思っていません。
※離婚はしたけど


あの経験があったからこそ、今の自分があります。
無理しない。でも挑戦はやめない。
それが、これからも続けていきたい私の働き方です。

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